ある日、朝の明るいうち、泣いている子どもがいて、誰かが「口から血が出ている」と言ったのを聞いて、すぐに様子を見に行くと、教師がすぐに怪我をした女の子を保健センターに連れて行き、傷の手当てをして両親に連絡していた。
けが人が出ると、校長はその原因を探ろうとするが、今回も例外ではなかった。事件が起きたのは木曜日の朝の軽活動の時間帯で、いつものように跳び箱や砂遊びがあり、先生たちはそれぞれの持ち場で子どもたちを見守り、跳び箱担当の先生も律儀に子どもたちを守っていたが、何が起こったのかわからなかった。問い合わせの結果、女児が跳び箱に飛び込んだ後、同じ場所に戻った際に転倒し、床に置かれた遊具に顔をぶつけ、歯茎を負傷したことがわかった。
事件について質問されたとき、ほとんどの子供たちは見ておらず、何が起こったのかも知らなかったが、ある少年は見たと主張した。
しかし、校長はその少年にすぐには答えず、他に誰が○○○が押すのを見たのかと尋ねた。他に誰が○○○が押すのを見たんですか? 自分の目で見なければわからない、そんなことは言えない。
子どもたちは私を見、私もあなたを見、誰も答えなかったが、それでもその子は押したのは○○○○だと言い張った。校長は、「では、押した子がどこに行くのを見たのですか、どうやって押したのですか」と尋ねた。校長は、「では、押した子はどこに行き、どうやって押したのですか? 校長に見せてもらえますか?
しばらくして、ある教師が少年に言った。「君はさっき、砂場で砂をいじって遊んでいただろう?少年は「先生が教えてくれたんだよ」と答えた。少年は「先生に言われたんです」と答えた。本当に何のことかわからないんだ。
大人から見ると、3~5歳児はしばしば事実と異なることを口にするが、これを単純に嘘と捉えるべきではない。 未就学児はすでに言語を使って自分を表現し、認知を構築している段階である。 ときとして、子どもの認知は大人ほど成熟しておらず、時間を逆行させたり、想像と事実を混同したりしやすく、事実と虚構が入り混じったことを口にしがちである。賢い子どもの中には、失敗したときに罰を避けるためのトリックを知っている子もいる。
教師として、親として、子供たちが事実と異なることを言ったからといって、怒ったり叱ったりする必要はない。 もっと忍耐強く、事件の過程や詳細を尋ねさえすれば、真実を知ることは難しくないし、その結果、ほとんどの子供たちは自分の過ちを理解するだろう。
次に家庭で同じようなことが起きたとき、怒る必要はない。ちょっとした技術を使って詳細を尋ね、子供が自分の理解で出来事を再構成できるように導く。
火曜日には、火災予防と地震予防を呼びかけるため、消防士が消防車で来校し、子どもたちに消防車のスプリンクラー機能を体験させ、消防車への愛着と好奇心を満足させたほか、子どもたちは防火服を着て消防士になる体験もした。
木曜日の積み木創作・共有大会のテーマは、一番人気のロボット。子どもたちは皆、思い思いのロボットを組み立てて大会に参加した。 子どもたちにとって、楽しくカラフルな体験となった。学校教育がより興味深く、楽しいものになる。
平和と幸福
マンディ