校長から一言 - フットボールがなくなった?

一日の終わりに、保護者が玄関まで迎えに来ると、先生が子どもたちの名前をアナウンスし、呼ばれればクラス担任が子どもたちを玄関まで連れて行き、保護者に渡して簡単な話をします。タレントクラスがある場合は、当番の先生がお手伝いします。 ほとんどの子どもたちは、自分の名前を聞くとさっさと玄関に行き、先生やクラスメートに別れを告げ、嬉しそうに家族と一緒に帰ります。

水曜日、いつものようにドアの先生、先生のそばの子供の一人が長い間呼び続けたが、出てこなかった、おそらく子供はトイレに行ったか、または...と思った。先生は、もしかしたらトイレに行ったのか、それとも......と思ったが、その子が現れたので聞いてみると、サッカーボールを探していたことがわかった。

彼はサッカーのレッスンを終えたばかりで、ボールがどこにあるのかわからなかった。 サッカーの先生に尋ねると、「私がボールをバッグに入れて、ランドセルの横に置いたのに、どうしてボールの場所がわからないの?何人かの先生を動員してボールを探すのを手伝ってもらったが、見つからなかった。暗かったので、あちこち探したのですが、ある先生は「もしかして、その子がボールを間違えて持っているのでは?でも、間違えてももうひとつボールがあるはずです」。暗くなってきたので、子どもたちには先に帰ってもらい、翌日対応することにした。

翌朝、朝の光を浴びながら、子どもたちと「なぜ自分のものがなくなったのか」について話し合った。 なくしてしまわなかった」という子もいれば、「人に取られた」という子もいた。

昨日の「ボールがない」という話題の続きで、会話が始まると、みんなボールの形は丸いのか、球形なのか、転がるのか、転がらないように片付けるにはどうすればいいのか、口を閉じられる袋に入れるにはどうすればいいのか、ボールの形はそれぞれ同じだから、私のボール、あなたのボール、彼のボールに分けるにはどうすればいいのか、といった話題で盛り上がった。また、ボールの形は同じだから、私のボール、あなたのボール、彼のボールに分けるにはどうしたらいいかという質問も出た。子どもたちが自分の意見を述べたり、他の人と経験を分かち合ったりすることは、互いに学び合う良いアイデアです。

エイミーの母親はボールを手に持ち、「見つけたよ」と笑顔で言った。どこで見つけたの?ボールは虹の椅子が置いてある場所まで転がり、椅子の下に隠れた!どうりで見つからないわけだ。 空が明るい昼間、エイミーは子どもたちがランドセルを置く場所を観察し、ボールが転がり出る方向を考えた。

見つからないことはよくあることで、子どもの場合はなおさらだ。児童労働のせいで、子どもは一家に一人宝の持ち腐れになっている。 大人が4人いれば、子どもは何もする必要がなく、自分の持ち物を認識することもなく、その世話の仕方も知らず、持ち物を失くしたり請求されても持ち主を見つけられないのが普通だ。親や教師が何でもやってあげると、子どもたちは学ぶ機会を失ってしまう。 それよりも、何でも誰かがやってくれることに慣れ、指示に従えばいいのだ。

"セルフケア能力 "は非常に重要で、文字通り "セルフケア"+"能力 "である。"セルフケア "の最も重要なものは、"セルフケア "のメンタリティー、すなわち "オーナーシップ "の精神である。 このような些細な判断や習慣の育成を通して、子どもは自分が自立した存在であることに気づき、自分で自分を管理する方法、自分で判断する方法、自分で責任を持つ方法について考える必要がある。たとえば、どこに何があるか、どのように保管するか、どんなものを持っていくか、どんな服を着るか、などである。例えば、物がどこにあるか、どのように管理するか、何を持っていくか、どんな服を着るかなどを知る必要がある。 こうした小さなことの積み重ねが、将来、子どもが積極的に学び、成長するための土台となる。

幼稚園のクラスに小さな子どもがいるのだが、おばあちゃんが、2歳の孫に朝チューバに行く習慣をつけさせ、毎朝孫がチューバを終えるのを待ってから幼稚園に連れて行くのだと話してくれた。

平和で幸せな休日を。

マンディ

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