親は理性的な空間を築き、批判に対して良い手本を示す。
自分に厳しく、他人に甘く」という言葉があるが、これは真理に反する理屈の神話だと私は思う!
私はいつも子供たちに、自分も他人も同じ物差しで測るように言っている。そのため、私たちは自分自身に対する批判には礼儀正しくなく、他人や環境に対する批判には決して口下手ではない。我が家では、批判は常に家族の文化である。
子どもの行動に逸脱があれば、すぐに批判し、啓蒙し、必要であればしつけもする。親の言動が違っていたり、親の考えが衒学的であったりすると、子供たちは力強く主張し、簡単には屈しない。
学校で子どもが先生やクラスメートと対立したとき、父親である私は、子どもを正すときもサポートするときも、常に「理性」を使う。
理性的な大人になり、理性的な成長の余地を守る
大人の主語のブレ」「言動で子どもを怯えさせる大人」に加え、「過剰な権威主義の大人」も理性の成長を妨げ、抑制する深刻な問題である。中でも権威主義は最も恐ろしい。大人に比べれば、子どもはとても弱く、「理性的」な成長の場を守るために抗議したり、声を上げたりすることはまずない。 権威を行使して抑圧することが得意な大人に出会うと、子どもは声を上げる前から罰を受ける可能性があるため、退路を断って自制心を身につけ、頭を抱え込むしかない。厳しく抑圧されるもののひとつに、「理性」と「尊厳」がある。
我が家では、互いを信頼し、何事にも真実を語りたいということに加えて、私たちと子供たちの間には革命的な性格がある。
合理的な世界観が自立した人格を育む。
親が子どもの「合理性」を伸ばすために多くのスペースを与え、実践的な観察を手助けし、物事の因果関係を整理してまとめることに付き添えば、世界の合理的な記述が自分の観察とかなりの程度一致することを理解させることができるだろう。そうすることで、子どもは次第に、世界は合理的であり、それほど不可解なものではないことに気づくだろう。
いつか子供の理性が健全で強くなるときまで、社会は理性を使って子供とコミュニケーションを取ろうとしないので、子供はおそらく社会と対立するだろう。そんな時、親が「理性」を使って子供をサポートすることができれば、次の2つのとても良い結果が生まれる。
子どもは親を生涯にわたって尊敬するようになる。このような信頼感は、自分を愛し、世話をし、楽しいことに連れて行き、望みを叶えてくれる親から自然に生まれるものではなく、親が「理性」に基づいて子どもの尊敬を支えることで、親子の親密度がより高いレベルに達するのである。子どもは、親が「善」という中心的な価値観を持っていることを感じ、親を生涯にわたって肯定し、尊敬するようになる。
親が "理性 "で子どもを支えたり、矯正したり、批判したりすることを繰り返していると、子どもは次第に自分の行動から判断基準を持つようになり、その判断基準を守るために屈服せず、最後までやり抜くことができるようになり、自立した人格が形成されていく。
人が独立した人格を持つかどうかは、普遍的に通用する永遠の価値観を受け入れているかどうかにかかっている。そのような内なる価値観を見出したとき、その人がこの世で強く、まっすぐであることがわかるでしょう。お子さんをそのような人にするとき、ご両親はお子さんが理性的な人生を築けるよう、本当に助けているのです。
マンダリン・デイリー紙より抜粋 / Zhang Qiongling